妄想と現実、そして小説ネタ
- 管理者
- 17 時間前
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しんどいことはしたくない。昼まで寝たい。料理、洗い物はしたくないけど、おいしいご飯が食べたい。掃除はしたくないけど、部屋が汚いのは嫌だ。毛玉や体毛が落ちているのはいやだ。
一方でしたいことは本棚や列車のジオラマをおいた書斎をつくりたいし、ギャンブルしたいし彼女もほしい。仲間もほしいし、日本のいろんなところに行きたい。
まあお金稼がずに生活していくのは今の社会は厳しい。どこかで仕事なんかせずに、お金なんて稼がなくても生きていける社会を夢見ている自分がいる。現実逃避をしている自分を肯定するために、こんな妄想をしているのだろうか。
人口が減ること、AIの技術が進むことは確実とみていいだろう。ここから地域活性化はことごとく失敗し都市部に人口が集まり、AI技術やロボットに近いものと共生していくことと人間が仕事をしなくなり、可処分時間が増えると考えているのは私の妄想である。この妄想に逃げて、ますます仕事や稼ぐということにやる気を損ない、同年代の活気あるやつらと差が開いている事実に少し焦っていることも事実である。それにもかかわらずそこには根気や継続力はない、行動しているわけでもない。考えや計画性があるわけでもない。これは自分の人生に対してやる気がないといえるのだろうか。
自分が今まで自分の心と一緒に頑張ってこれたものは何だろうか。やはり数学の勉強でなかろうか。始まりは小学校2年の時に公文に行ったことから始まったと思う。それから小学校を卒業するまでの5年間、ひたすら計算をしていた。同時に文章が読めないことを実感していた。もともとマンガを読んだり、活字を読む習慣がなかった。これが結構大きな要因だと思う。
とりあえず計算しかできなかった自分は小学生の時の自由帳に自分で研究をしていた。
四則演算を知っている人ならだれでもできる研究である。「連続している自然数におけるn乗の差に規則はあるのかということである」。ひたすら掛け算と引き算をするものである。この研究では、紙に書けば指数が大きくなるにつれて、引き算の計算量が大きくなる。こんなことをやっていた。ちなみに厳密な証明はいまだできてないが、仮説はある。それは「連続する自然数をn乗したとき、その差をとる。また差の差を取る。これを差が初めて一定になるまでおこなうとき、初めて差が一定になるときの差はn!になる」である。おそらく数学的帰納法つかって証明するのかなと思って終わっている。一回やってみたことあるけど途中で断念したことがある。
卒業と同時に中学高校の6年間、塾に通っていた。そこで文章問題が解けない事実を克服するために、勉強した。特に中学数学の証明に苦労した記憶はある。でもそこでは受験数学を一生懸命勉強した記憶しかない。それでも解けるようになるために勉強していたと思う。そこで終わってしまったのか。大学でも統計学の勉強を独学だけど取り組んだ。結局資格取れなかったけど。統計学に取り組んだのは、その需要と数学の勉強の延長線上でできるかなと考えたからだ。でも独学って難しいね。
それ以外にはあんまりないかな、心地よく頑張れたもの。このまま実家に帰って大丈夫だろか。そうでなくても帰るのだが。

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