ベーシックライス
- 管理者
- 4月19日
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さて久しぶりに妄想をしてみる。生きている間に見ることができるかわからない日本の景色だ。
人口減少と科学技術の進歩により、人はいくつかの機械化・管理化された都市に住むようになった。そこで人は今よりもずっと時間を自由に使える時代になり、いろんな世界で活躍したり、彼らを応援することになる。
つまり働かなくても一定の生活が保証されてる世界だ。食べるもの、住むところ、着るものすべて準備されている。何もしなくていいかといえばそんなことはない、今と同じように子どもは学校に行かないといけないし、社会のルールは存在する。他人と協力して何かに取り組む必要だってある。それが何かは分からない。
それを今なら遊びと表現するだろう。でもそこでより人間的な営みをすることができるのではないだろうか。共通の目的をもって力を合わせる。肉体的な競争、頭脳的な競争。どんなものかはわからない。なんのために競争をするのかもわからない。現象として競争が成立するのかもわからない。負のエネルギーもしくは負から抜け出すための動機がなければ競争は成立しないのか。
何かを知りたい、見たい、聞きたいという好奇心に競争はいらないはずだ。ではその好奇心をかりたてることで競争を生みだすことはできるのか。
次のように仮説を立てる、今の生活・環境に満足だと人は成長しない。成長の定義を稼げることや学術的な新しい発見をすること、勝負で勝つこととする。衣食住を保証すると人の成長が止まると考えられる。これがいいのか悪いのかはいったん保留する。
人は好奇心で動く。宇宙に行く、深海に行く。見たことない景色を見に行く。そのためには成長する必要がある。この時、人を成長させるためもしくは自分のために他者を成長させる社会はどのような社会であるか。
こういうことを考えるときは恣意的で非現実的で抽象的になる。
こんなことを考えているとこんな景色が見てみたいと思う。
「生活費を稼がなくても飯がでてくるシステムが欲しい」
「稼ぎが無くても成り立つ地域をつくりたい」
「新しい遊びをつくりたい」
んー厳しいかな。
たとえばメニューは選べないか毎日同じ料理が提供される。これなら一つ目の景色は成立するかな。食料は自動生産、料理も自動、ボタンを押せば料理が出てくる。むり?最初の初期投資はいるものとして、この俺の飯製造永久機関は手に入らぬか。
おにぎりを作ると考える。米をつくって、炊いて、握って、ボタンを押したらでてくる。
炊く以降はできると思う。問題は米を作ることを自動化できるかどうかだ。スーパーで売られている状態まで自動化できたらあとは自動運転かベルトコンベアで運んでくるだけ。楽しそうだ。




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